西新井橋 北詰

40年以上も前のこと。私は、女子大の学内にある寮にいました。その時に隣のお部屋にいたHさん。才色兼備、にもかかわらず(笑)、性格がよくて優しい。そして字の美しさといったら、今まで知った人のなかではたぶんナンバー1。「天は二物を与えず」は嘘だって、その時しみじみ思った私です。
そんな憧れの先輩Hさんに誘われて、足立区本木町にあった隣保館(りんぽかん)に、子どもたちと遊んだり、勉強を教えたりするために通っていた時期がありました。隣保館には、「ママ先生」とよばれていたT先生が住んでいらして、隣保館の1階で保育園(無認可の託児室のような感じでした。)もしていました。
かつての足立区本木は、スラム地区でした。そこに住む人たちが隣保館にやってきては、ママ先生に相談をもちかけたり、お茶を飲みながら四方山話をしたりしていました。 そこの保育園で保母さんをしていたKさんは、その時、私と同い年の18歳。マイペースで淡々としていたけれど、ひたむきに子どもたちと向き合っていました。時々帰り道が一緒になって、鶯谷駅前の「あいきょう」という喫茶店でおしゃべりしました。なつかしい青春の日々です。
私が卒業した後、Kさんも隣保館をやめて、それからほんとに色んなことをしていましたが、彼女の心の中には、「いつか、障害があったり、貧しかったり、親が様々な理由から育てることができない子どもたちのために施設を作りたい」という思いがありました。
保母資格を持っていなかったKさんは、独学と1週間の講習で資格を取得していました。「私も保母資格を取りたい。」というと、教科書を全部譲ってくれて、講習の申し込み方法も教えてくれました。かいあって、私も資格を取得できました。
けれど、私は結婚して、自分の子どもに夢中で、資格を使うこともなく、Kさんともいつしか会わなくなり、「年賀状」だけの交流になっていました。Kさんも結婚して、お子さんが生まれ、子育てに明け暮れていたのでした。
そして今年の年賀状。電話番号が記されていて「お会いしたいので、お電話ください。」とありました。まだお正月だった5日、お電話しました。

春は名のみの2月7日、Kさんが遊びにきてくれました。駅の改札口まで迎えに行った私、「わかるかなあ?」って心配していたのですが、一瞬でわかりました。
11時すぎから、7時近くまで、しゃべり通し、笑い通しでした。Kさんには4人のお子さんがいます。「一番上の長男はマジシャン、次男は消防士、長女は、声優志望で、今は演劇をしているの、末っ子の三男は、建築士目指して、この4月から建設会社に就職、」マジシャンと大学4年の2人がまだ一緒に暮らしているそうです。
私も一度、遊びに行ったことのある五反田駅近くのKさんのご実家がマンションになり、等価交換した1軒には、お父さまとお兄さまが住んでおられるとのこと。介護が必要になったお父さまのところへ、毎日お昼から夕方6時ころまで、行っているそうです。もう1軒には、「演劇をしている娘がお友だち2人と、3人でシェアハウスしているの。」と。
「父を見送ったらね、あそこで、施設をしたいなって思ってるの。」
最後にそんなことを話して、まだまだ話し足りないままに「今日はもう帰らなくちゃ。夕飯をつくらなきゃ、、」って。駅まで送って、私のセリフ「また、来て!今度はお昼ごはんつくる時間ももったいないので(つくったというほどのごはんでもないのにね。サッポロラーメン、ふふ、、)お弁当買って待ってるね♪」

「西新井橋・北詰(にしあらいばしきたづめ)」は、私が、隣保館に行くときに北千住駅前から乗っていた「西新井大師行き」のバスをおりた停留所です。停留所名のひびきがほんとになつかしい!
あれから、一度も行っていません。隣保館はずいぶん前に、本木から竹の塚に移り、T先生も亡くなられ、それから20年以上が過ぎています。Kさん、一度、一番上の男の子が赤ちゃんの時に竹の塚の隣保館に連れて行って、「しつけが悪い!!」ってT先生に叱られたんだそう。T先生の時代は、自由教育なんていうすてきな響きは、「しつけが悪い。」といわれていた時代です。
でも、この私、このごろのあまりにも自由教育のママたちを電車などで、見かけると、すてきな響きにまどわされ、「躾」という言葉を無視して子育てしてきた自分のことを棚にあげて、「しつけが悪すぎない?」って言いたくなるのです。歳のせいね。